先日、教会の友人とお祈りしていて、
と聞かれた。
実は生まれてから一度も、
私ははらぺこ君👶のことを「自分の体の一部」と思ったことはない。
自分の体を通して生まれた。
でも完全な「別の個性体」だ。
顔はだんさん(旦那さん)によく似ている。
でも、だんさんとも「別の個性体」だ。
神様は私たちを通して、
今までこの世界に存在していなかった、命を生み出してしまった。
無から有を生み出す。
こんなことができるのは、ただ神様だけだ。
私は子供がだんだんと成長していく姿を見ながら、
「行ない」、特に「平素の行ない」というものが子供の与えるものの大きさを考えるようになった。
先日、こんなニュースもあった。
女子高生が路上で迷子になっている幼児に声をかけ、
近くの商業施設まで保護して、無事に親御さんに引き渡すことができたということが紹介されていた。
警察の感謝状を受け取った女子高生は、「お母さんを見習って、声をかけた」と。
普段からそのように行動されている親御さんの姿をこの子は見ていたし、
その姿を尊敬していたから、自分が同じ状況になったとき、
お母さんの姿を思い出して、小さい子供のために勇気を出して声をかけた。
そうだよなぁ、と思う。
自分も、はらぺこ君に神様のことを伝えるとき、
もちろん、御言葉や聖書、言葉を通しても伝えていくけれども、
一番近くにいる私たち両親が、
普段の生活の中で、真実に神様を愛し、呼んで、迎え、共にしていてこそ、
はらぺこ君も神様という存在を近くに感じ、愛し、一緒に暮らしていくことができる。
その影響が大きいなと思う。
自分たちだけでは到底、神様と救い主の無限の愛を伝えきることはできないので、
「聖三位の神様、どうか、私たちを通してはらぺこ君を育ててください」
という気持ちだし、
天地万物、教会の人たち、ありとあらゆるものを通して、
神様がはらぺこ君を、「生まれてきてよかった!」と真実に告白する生にしてくださることを切に願う。
赤ちゃんってどう?自分の体の一部みたいな感じ!?