情(じょう)。

こんにちは、motoiです☺

先月のことですが、

おいしょおいしょとつかまり立ちをし出した息子君が、

ある日、私の腕を掴んでいた両手をそっと離して、自分の足で立ちました👶👏

一瞬のことで、すぐまた私の腕の中に倒れ込んできたのを抱きとめたのですが、

息子くんがゆっくりと手を離して自分の足で立ったその姿をスローモーションのように眺めながら、

嬉しく興奮する気持ち半分、

残り半分の気持ちは湖のようにとても静かで感慨深かったです。

子供が親の腕の中にいるのは一瞬。

すぐに大きくなって、走り出すようになるんだな…と実感しました。

もうすぐ立つかな?感動するだろうな、と、

嬉しい気持ちばかりだと想像していた私は、

突然現れた感慨深い気持ちにちょっぴり浸っていました。

ある保育園の園開放に遊びに行ったとき、

帰り際、担当してくれた保育士さんが、唐突に、神様のことを話し出しました。

「私、子供っていうのは神様が授けてくださるものだと思っています。

妊娠・出産は絶対的に神様の領域。

そこには人間が手をつけることはできない。

お医者さんはただ手助けをするだけ。

もうそれは神様の領域。」

「お母さん、いま、子育て大変だなって思うことがたくさんあるかもしれないけど、今の時は一瞬で終わっちゃう。私も26の子供がいるけど、あっという間に大人になっちゃった(笑)

保育園に来てる子たちも、最初はみんな泣くんです。お父さんお母さんは「泣かないでー」って思うんですけど、ある日突然、子供は、親にバイバイも言わずに嬉しそうに保育園の中に走って入っていくようになる。親は寂しいものです。

だから今の一瞬一瞬を大切にしてくださいね」

と。

牧師先生が、「神様はなぜ人間を完全に創造なさらなかったのか?」ということを教えてくださったことがあります。

神様は全知全能だから、十分人間を完全に創造できたはずなのに、どうしてそのようになさらなかったのか?

それは、

人間を初めから絶対者として完全につくったなら、神様の愛の価値も分からず、心情も分からず、一緒に暮らせないからだとおっしゃいました。

親と子の関係に置き換えてみれば、

もし親が子供を産むとき、完全に成長しきった子供を産んだら、子供が成長しながら親に似るということもなく、自分でできるから親を求めることもなく、親の愛と情を感じることもできないし、親も、育てた情もなくて一緒に暮らすことができないと。

だから、神様は人間を初めから未完成の存在として創って、人間が成長しながら神様を探し、信じて、「一緒に」つくるようになさったんだとおっしゃいました。

そうしてこそ、経緯ができ、情が移り、話もし、考えや行いが神様に似て、生きるようになると。

振り返ってみれば、パートナーのだんさんとも、「一緒に」色んなことを挑戦しながら、「情」というものが段々と湧いてきたなあと実感しています。

神様がくださった祝福に感謝し💖、

という、神様がくださった宝物を、日々感じて味わうmotoiなのでした。