御言葉を学び始めたころ、
もともと本を読むのが好きだったので、電車の中でもずっと聖書を読んでいました。
(アプリじゃなくてあの分厚いやつ…(;^ω^))
衝撃を受けたり、感嘆したり。
その中の一つがこれ。
ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。
さらに
なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。
「コリント人への第二の手紙」に書かれているこの部分。
とにかく自分に自信が無くて、自分には何もできない、何の力も無いと思っていた当時の自分に、
「自分は弱い、自分は足りないと思う人こそ、その分、神様(神様が遣わしたキリスト)を呼んで神様と一緒に行うから実は強いのだ」という言葉は衝撃でした。
「強い」とか「弱い」一つをとっても、神様の考えと自分の考えは違うのだなと思いました。
そして、凄く嬉しかったのを覚えています。
最近は、子供が産まれたこともあって、
自分がしっかりしなきゃとか、自分が何とかしようとして、
結局自分が大変になってしまったり、
一生懸命やっているんだけど、漠然とした不安の中に陥っていたり、
神様を呼ばずに一人でやってしまったことによって、
神様に委ねずに自分だけで一生懸命になっていたことによって、
疲れてしまったり、大変に思うことも多かったように思います(;^ω^)
息子くんがまだ新生児だったころ、
授乳しながら、「本当に可愛いなぁ…」と胸が熱くなっていたとき、
ふと、
そんな私と息子くんのことを
「本当に可愛いなぁ…」
と見つめている、あたたかな神様の眼差しを感じました。
いつも、神様がどういう眼差しで自分を見ているのか考えてみること。
「おつかれさま」
「よくやっているね」
「でも、わたしのこと忘れないでね」
自分の心を空けて、神様に委ね、いつも一緒に行う私になりたいです🌹
<最近のリラックスタイム>
🍰息子くんの匂いを嗅ぐこと(あたたかくて癒される…)
🍰メルカリで購入した手作りスコーンをこっそり食べること(程よく甘くていやされる…)
🍰賛美を聴くこと(いつの間にか自分も歌っていて力を受ける…)
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