こんにちは(^^♪motoiです。
私たちの教会では、
今年新しく始まった取り組みの一つに、
お昼の【乳幼児&乳幼児ママ向け賛美会】があります。DJは自身も1歳児のママであるDJズー👍✨
不定期でzoom開催されています。
私たちから神様への愛の告白でもある賛美曲。今この瞬間もどんどん新しい賛美が発表されています。豊作すぎて追いつけない…!家事にも育児にも忙しい…!
そんなママ&ベビーたちに、とっても恵みの時間です💖
牧師先生は、「賛美は自分の人生の叫びだ」と教えてくださいました。
また、「賛美する分、自分の心に刻んだ分、そのような歴史が生活の中で起こる」とも。
私自身も「本当にこの歌詞のように生きたいです」「本当にその通りです」と祈りながら賛美してきたことが、実際の自分の生活の中でも変化が起こり、賛美を通して神様から答えをいただいたことが数え切れないほどありました。
聖書の中にも、人々が賛美する姿がたびたび出てきますが、賛美によって人々が(それも囚人たちが)、伝道された話が書かれています。
こちらがその部分📚
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「真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた。 ところが突然、大地震が起って、獄の土台が揺れ動き、戸は全部たちまち開いて、みんなの者の鎖が解けてしまった。 獄吏は目をさまし、獄の戸が開いてしまっているのを見て、囚人たちが逃げ出したものと思い、つるぎを抜いて自殺しかけた。 そこでパウロは大声をあげて言った、「自害してはいけない。われわれは皆ひとり残らず、ここにいる」。 すると、獄吏は、あかりを手に入れた上、獄に駆け込んできて、おののきながらパウロとシラスの前にひれ伏した。」 (使徒行伝16.25-29)
少し状況を説明すると、パウロとシラスという信徒たちが、人々にイエス様の御言葉を述べ伝えたことによって捕えられ、獄に入れられていました(当時は異端とされていました)。
救いのために行なっているのに、誤解され、殴られ、捕えられ、どれほど悔しかったでしょう。
しかし、そのような状況の中でも、彼らは神様に感謝して祈り、夜通し賛美をしていたのです。
獄の中にいた囚人たちは、それを耳をすましてじっと聞き入っていました。
彼らの権威が地に落ちたときの、その姿、その行いを、囚人たちはじっと見ていたのです。
そんなとき、地震によって獄の扉が壊れてしまいます。獄の番をしていた獄吏は、囚人たちが逃げてしまったと思い、自害しようとします。
しかし、既に心が伝道されていた囚人たちは、誰一人逃げ出さず、獄の中に留まっていたのです。
そのしるしの前に、獄吏は自らも神様を認めるようになったということが書かれています。
物凄いことですね…(@_@;)!
彼らが賛美したのは、獄の中が快適だったからではなく、
患難や困難な状況の中でも、神様を信じてその道を行くから、最後は勝利するから、心が天国で喜びで賛美したんだと教えてくれました。
口先だけの歌ではなく、人生の叫びだったから。
その行いが真実な生だったからこそ、囚人たちも神様を認め、伝道されたのではないでしょうか。
賛美とは神様と通じ合う一つの道、
喜びの時も、辛い困難な時も、
どんな時も変わらず、
真実な心を捧げる私でありたいです。