こんにちは、先日救急車で運ばれたずんだです!
子供3人いて救急車で運ばれるってシュチュエーションはなかなかシビアです^^;
実は子供3人になってからは2回目、、、
1回目は買い物中に末っ子を抱っこ紐で抱っこしたまま倒れてお店の人に救急車を呼んでもらう事態に( ゚д゚)
長男はまだ幼稚園だったため、救急隊員さんが旦那さんに連絡する横でうわごとのように
長男迎えにいかせてください!!
と叫んでました。
ちなみに次男はベビーカーで寝ていて
そのままベビーカーごと救急車に乗せられて、旦那さんが到着するまで寝ていたという^^;
そして今回
自宅のトイレでやばくなってきた時点で、すでに子供たちを見ていられずカオス状態に…
泣き叫ぶ末っ子がどうなっているかが怖すぎて(最近階段を登ったり、誤飲も危険で目が離せず)
困り果てた末に、ちょっとの間子供たちを見ていてほしいと教会のご近所さんにヘルプを求めました。
そして1人が急いで来てくださった時点ですでに意識は混濁。。。
慌てて更に人を呼んでくださり
救急車が呼ばれ
1人は一緒に救急車に乗ってくださり
何人かは家に残って子供たちをみてくださり
おかげで私はすぐに処置していただき、その日の夜には帰宅できるようになりました。
みなさま本当にありがとうございました(´;ω;`)
ずんだは近くに親親戚がいません。
そういう中で子育てするのは、本当に大変ではあります。
特に自分に何かあった時。
私は教会というコミュニティーに属して
普段から助け合える仲間がいるから
なんとかやっていけています。
でもそうじゃない、助けを求めたくても求められない人のほうが多いんだろうなってよく思います。
次男はイヤイヤ期真っ只中。
同じくイヤイヤ期のママさんと悩みを話すことも多いです。
育児書などでも勉強していると
やっぱりまずは自分に余裕がないと何もできないなぁと感じます。
わかっていても受け止められない。
愛で包むにはまず自分が愛に満たせれてないと
そして適度に健康じゃないと
子供に愛が絶対必要だって
みんなわかっているけど
自分を愛で満たす方法は?
教会の方々と一緒に子育てしていて
もちろんみんな子供にも良くしてくれるけど
まずはお互いを労いあい、大事に考えてくれることのありがたさを
今回救急車で運ばれてしみじみ感じました。
もちろん、行政の方とかもまずはお母さんが元気にねって、それはもう基本かもしれないけど
普段の生活で、逃げられない瞬間瞬間で
そういう味方になってくれる人がいるって
すごいなぁって
しかも教会に行ってなければ知り合うこともないようなバラバラの個性派たち
私たちを繋いでくれているものを考えると
やっぱり鄭明析先生が、そのように私たちに接してくださった愛に行きつく
旦那さんが摂理の教会にきたとき
自分は愛を学びに来たんだと分かったと
そう告白していたことを思い出す
子育て中のみなさん
本当にお疲れ様です
休みたくても休めないし
心も体もヘトヘトでも
子供を愛さないといけない
愛の力だけが人を変えることができるから
でも自分はどうやって
その愛の力を受ければいいのか
自分の愛だけでは限界のとき
あなたをつくり
いつも愛し
味方でいてくださる
そんな存在を思い浮かべてみてはどうでしょうか
それが神様
まず自分が一番
愛を受けないといけないなあ
今日もがんばろー!