こんにちは😊ルリです✨
今週も主日の御言葉を聞いて来ました!
<本文>
コリント人への第ニの手紙5章17節
『だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。』
ローマ人への手紙12章2節
『あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。』
〇いつも主の考えに基準を合わせなければなりません。自分の理念、自分の考え、自分の主観なのか、神様の考えなのか分からないから、実践力が弱いです。主の御言葉は完全だから、そこに考えと理念を置いて考えながらやっていけば確実です。
以前も少し書きましたが…私はキリスト教やイエス様への偏見が強くあった人間です。
聖書の内容も全く知らなかったので、「日本の神道・仏教文化になぜキリスト教文化を混ぜに来たのだろう…🥺」と好感とは言えない感情でキリスト教を見ていたと思いますm(_ _)m
キリスト教・イエス様が『何を』伝えようとしているのかを全く知らなかったからです。
(〈キリスト〉に関しては(#4)をご覧ください)
キリスト教が『神様』について詳しく教えてくれる、という事も良くわかっていませんでした。
キリストがキリスト教の神様なのかな?というくらい分かっていませんでした。
しかし…姉から聖書を紹介されて読んだ時に、とにかく良い言葉が書いてあることに驚きました。
新約聖書の最初のマタイによる福音書に、以下のようにあります。
「こころの貧しい人たちは、さいわいである、 天国は彼らのものである。
悲しんでいる人たちは、さいわいである、 彼らは慰められるであろう。
柔和な人たちは、さいわいである、 彼らは地を受けつぐであろう。
義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、 彼らは飽き足りるようになるであろう。
あわれみ深い人たちは、さいわいである、 彼らはあわれみを受けるであろう。
心の清い人たちは、さいわいである、 彼らは神を見るであろう。
平和をつくり出す人たちは、さいわいである、 彼らは神の子と呼ばれるであろう。
義のために迫害されてきた人たちは、 さいわいである、 天国は彼らのものである。」
〈マタイによる福音書 5:3-10 〉
よく分からないのですが、感動しました。
このあとにも、「悪人に手向かわず、右の頬を打たれたらほかの頬を向けてやりなさい」「敵を憎むのではなく、敵を愛し、祈ってあげなさい。」など感動的な言葉が続きます。
しかし、これだけでは「良い言葉の本」とあまり変わりません。
私がイエス様の事を「キリスト(救い主)」と認識出来るようになったのは、御言葉を教えて下さる牧師先生のおかげです。
牧師先生はイエス様が好きすぎて人生を捧げた方です。
そのような牧師様は他にもいらっしゃると思うのですが…先生のすごい所は「イエス様を愛したから、イエス様が聖書で仰った通りに実際やりながら生きて来られた」というところです。
乞食の人や精神病者の人を実際に家に連れてきて共に暮らし、面倒も見てあげ、祈ってあげて…という生活をされたので、一緒に暮らしていたご家族とぶつかることもあったそうです。
それでもイエス様の仰った御言葉を中心に生きて、『イエス様(キリスト)』とはどういう方なのか、私たちがキリストにならってどう生きるべきかを詳しく学ばれたので、私たちもイエス様の事を正しく知る事が出来るようになりました。
イエス様と私を真実に『出会う』ようにして下さったのは牧師先生です。
また、イエス様をはっきり知る事で、「唯一神であり創造主である神様」、「見えないけれど、私たち全人類を愛し見守っていらっしゃる神様」をはっきり感じ、信じる事が出来るようになりました。
私のもともとの古い考えが完全に新しくなりました。
イエス様に出会えた喜びは、筆舌に尽くし難いです。
このように話し、イエス様や御言葉を紹介する人生になれるとは思ってもみませんでした。
今週の御言葉の中にあるように、全能者神様から出ている『御言葉』は完全であり、この地上の法則でもあるので、いつも聖書の御言葉・天が下さる毎週の御言葉に基準を合わせながら、「何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、全きことであるのか」を正しく知って生きて行きたいなと感じる今週になっていますm(_ _)m
主日の御言葉の詳細はこちらから♡
















古いものは過ぎ去った。見よ、新しいものだ。